大分地方裁判所 昭和52年(行ウ)6号 判決 1979年3月05日
大分県北海部郡佐賀関町大字神崎一二八七の二番地
原告 国廣利子
<ほか一五五名>
右原告ら一五六名訴訟代理人弁護士 吉田孝美
同 徳田靖之
同 浜田英敏
同 岡村正淳
同 柴田圭一
同 牧正幸
同 西田収
同 安東正美
右吉田孝美訴訟復代理人弁護士 河野善一郎
大分市大手町三丁目一番一号
被告 大分県知事 立木勝
右訴訟代理人弁護士 後藤博
同 秋山昭八
同 山本草平
同 内田健
同 河野浩
同 松木武
右指定代理人 上野至
<ほか一二名>
主文
一 原告らの訴を却下する。
二 訴訟費用は原告らの負担とする。
事実
第一 原告らの申立とその理由並に被告の本案前の申立に対する反論は別紙第一ないし第四に記載のとおりである。
第二 被告の本案前の申立と同理由並に原告らの前記反論に対する批判等は別紙第五ないし第一四に記載のとおりである。
第三 証拠関係《省略》
理由
第一 被告は本案前の申立として本件訴の却下を求めその理由として抗告訴訟の出訴期間は行訴法一四条一項によって当該処分を知った日から三ヶ月以内に提起しなければならず、処分の日から一年を経過したときは提起することができない旨規定せられているところ本件八号地計画は大分県が昭和四五年に大分地区臨海工業地帯建設計画の一環として策定したものであるから昭和五二年六月一八日に提起せられた本件訴はすでに右期間を徒過したものとして不適法である旨主張しこれに対し原告らは本件八号地計画が行政処分として成立したのは昭和五二年三月一八日本件改定基本計画が内閣総理大臣により承認の告知がなされた時であるから右期間は徒過していない旨反論するところである。
しかし本件については右出訴期間の点のみでなく原告が本訴において取消を求めている計画なるものが果して抗告訴訟の対象たる行政処分に該当するのか、つまりその行政処分性と争訟成熟性の点についても激しく争われているところであって、若し右計画が行政処分に相当しないとなれば、そもそも行訴法一四条所定の期間計算を問題とするまでもなく、起算の対象たる行政処分自体が存在しないものとして訴の却下を免れないところである。
よって本件については先ず本件八号地計画が行政処分性争訟成熟性を備えているか否かにつき判断して行くこととする。
第二
一 およそ、いわゆる開発行政計画が抗告訴訟の対象としての行政処分たり得るには、同計画の本質を明らかにした上、同計画の本質自体が直接特定個人に向けられた具体的処分であり、又これにより個々の利害関係人たる国民の具体的権利を制限している場合に限るのであって、このような場合、裁判所は同計画の違法性の有無につき司法的判断を下し得るのであり(最判昭和四一年二月二三日民集二〇巻二号二七一頁以下参照)、これを超えて行政庁又は行政機関に対してのみ向けられた開発行政の違法性の有無を判断することは三権分立の建前上許されないといわなければならない。
そこで、本件八号計画についても右の立場からこれを考察することとする。
二 《証拠省略》を綜合すると以下の事実が認められる。
大分県は昭和四五年頃それまでの前記一期計画が大野川以西の開発計画であったのに対し今度は同川以東、すなわち馬場、神崎、大平ら佐賀関西部の海を埋立て同所に工場を誘致して工業開発をなすことを決意し、大分県知事は地方自治法二条一項一二号所定の事務としてそれまでの大分地区臨海工業地帯建設計画の見直しを行って昭和四四年三月七日と同四五年三月に開催の大分地区新産業都市建設協議会に右開発案を付議して同会の了承を得た上、港湾法三三条、三四条、三五条、一二条一項に基き港湾管理者として右埋立計画につき地方港湾審議会にこれを諮問し、昭和四五年八月同会の承認を得たこと。
右によっていわゆる昭和四五年一一月頃六号地から八号地までの埋立を内容とする大分県の基本計画並に港湾計画としての二期計画が成立し発足したこと。ところが右二期計画中八号地埋立計画については環境悪化を恐れる佐賀関町住民の激しい反対運動があったため大分県知事は昭和四八年五月二五日原告ら主張の中断三原則の充足されるまで右八号地埋立計画を前記二期計画から分離して中断する旨の行政決定をなしたこと。
しかるに昭和五一年頃に至りたまたまその前年である昭和五〇年から同五五年まで新産工特法の適用期間の延長がなされたことに伴い大分県は前記県の計画たる八号地計画を国の計画たる新産法上の基本計画と整合性を持たせた形でいわば同計画の事実上の施設整備計画として復活させることを考え昭和五一年一二月二二日開催の大分地区新産業都市建設協議会に同計画案を付議し同議会の委員に説明資料として「大分地区新産業都市建設基本計画の概要」を配布し右に基づいて討議が進行したこと。
尚同概要中には新規計画として八号地に二九八・五ヘクタールの埋立造成をしたい旨の記載があること。
大分県知事は昭和五二年一月八日、右協議会の二八対一の賛成多数による承認、議決に基づき、内閣総理大臣に対し「昭和三九年一二月二五日承認のあった基本計画につき大分地先の臨海工場用地として約五九〇ヘクタールを造成する旨の計画変更をなしたいのでこれにつき承認されたい」旨の申請をなし同年三月一八日申請通りの承認を得たこと。
以上の事実が認められ(る。)《証拠判断省略》
そして右認定事実に照らすと、大分県知事は大分県の港湾計画である八号地埋立計画を昭和四八年五月二五日、一旦二期計画から分離し中断したものの、再び昭和五二年三月一八日に至り前記大臣の承認を得ることにより前記中断の決定を撤回し、それまで中断中であつた県の計画である前記八号地計画を確定的に、しかも国の計画たる新産都改定基本計画との整合を目的として再発足させ、同日を以て再開の効果を生じさせたものと考えられる。
この点に関し被告は右中断は「実施の中断」である旨主張するが、前掲各証拠によると大分県知事が昭和四八年五月二五日、右中断をなした理由は地元住民の環境悪化に対する強い反対がその主たるものであったと考えられ、又後記認定のとおり佐賀関漁協における中断当時の流血騒ぎ等の発生を考えあわせると、当時、被告たる大分県知事としては八号地計画に関する限り、その実施については勿論のこと、その計画自体をとり上げ或はこれに影響を及ぼすが如き行政庁の行為は一切、前記中断三原則の充足行為を除きなさない旨の決定をなしたものと理解するのが相当であるので実施のみの中断である旨の主張はとり難い。(確かに大分県は昭和四八年一二月、七号地を西からA、B、Cの三区画に分けC区画を切り離す旨決定しているが右は七号地計画の変更の形をとっているもので直接中断前の八号地計画を左右しているものとは考えられない。)
そうすると大分県知事の前記改定基本計画の策定に至る一連の行為については一面新産法上の建設基本計画策定行為の面もあると同時にその中には前記中断された県の計画たる八号地計画を復活させ再策定する行為に相当する面もあると考えられる。
三 そこで次に右再策定行為たる八号地計画が果して前記行政処分性と争訟成熟性を有するかにつき検討する。
1 《証拠省略》によると大分県は大分地区新産業都市建設基本計画(昭和五一年一二月)を立案し、その中で、七号地C、八号地として佐賀関町地先に各一三一・四ヘクタール、二九八・五ヘクタールを各二〇四億円、四六三億円の予算で埋立てここに装置産業を誘致する旨の計画(ただし、主要立地想定企業及びその敷地面積未定)をたてており昭和五一年から同五五年にかけ、港湾整備事業として国が大在に一五〇七・八メートルの防波堤を、県が同所に四八八メートルの岸壁、一五〇メートルの物揚場、四、四六〇メートルの臨海道路を、又坂ノ市に一八〇メートルの岩壁を又起債事業として県が大在に埠頭用地一一〇、〇〇〇平方メートルを造成する旨の、県が大在土地区画整理事業として大在に全幅四〇メートル、車幅二三メートル、延長一、一三四・四七メートルの臨海産業道路を造る旨の計画まで策定せられており又二期計画中七号地はすでに昭和四八年一一月着工されて同五二年一二月に完成となっておりその完成内容程度も水深五・五メートルで二、〇〇〇トン級の船舶が接岸出来る埠頭二バース他、幹線道路、電力、工場用水、上水道等すべて完備している状態で、臨海道路も大分市から大野川に至るまでの間はすでに出来上がっていることが認められる。
2 他方《証拠省略》を総合すると、次の事実が認められる。
(一) 大分県の臨海部の工業開発に伴って同三八年代から公害の方も目立ち始め、同四一年一月には大在海岸に黒い油が流れてのりに被害が生じたのを初め、同四五年九月には大分市沖合で大量のハマチが死亡するなどの漁業被害が、又同四四年一一月には昭和電工の電気系統の故障で悪臭が流れ、同四五年七月には家島地区で小豆、大豆等が黒く枯死するなどの農作物被害等が発生するに至ったこと。
特に佐賀関町とは大野川をへだてて隣りあっている三佐家島地区は一期計画の一号地埋立地の背後地に当っている関係上周囲を住友化学工業大分製造所、鶴崎パルプ九州石油大分製油所、九電大分発電所、昭電コンビナートに取り囲まれ悪臭、ばい煙の被害を受けて、住民らは気管支炎等で苦しむ者が多く公害の吹きだまりの観を呈する状態となっていたこと。
(二) 佐賀関町住民らは右被害の状況を日頃見聞していたことでもあり又特に神崎地区の地形が佐賀関半島のつけ根の部分に位置し、その北側には海がひかえ、南側には丘陵と高さ四〇〇メートルから五〇〇メートル程の山が連らなってその間の幅約二〇〇メートルから三〇〇メートルの狭い生活空間としかなっていない上、冬には北西風が、夏には海風と陸風とが交互に吹くと言った気象状態で、若し北側の海が埋立てられ工場群が立ち並んだ場合には悪臭有毒ガスが神崎地区に吹きつけ蓄留されてその公害被害は甚大であろうと考えられたこと、その上昭和四〇年二月大分県作成の新産業都市の建設基準計画でも明らかなとおり佐賀関町は従前埋立計画の対象地区ではなく柑橘栽培の主産地化、市街化計画区域周辺における花き、そ菜などの「近郊農業の確立」を目的とした開発計画地域となっていたこともあって多くの住民が右説明を受けるや同計画に反撥したこと、すなわち神崎連合区長は神崎地区の区会、青年団、消防団、婦人会等に呼びかけ前記団体らは昭和四五年九月六日右呼びかけに応じて神崎公民館に集合して合同で会議を開き八号地計画につき討議した結果、一期計画がまだ半分しか操業していないのにその公害はひどいものがあるとして埋立反対の決議をなしたこと。
そして同月一八日には前記連合区長の招集により神崎公民館で埋立反対総決起大会が開かれ、八号地埋立の即時撤廃を求める旨の決議がなされ又以後地元住民の意思を代表する機関として「新産都八号地埋立絶対反対期成会」が結成せられたこと。
又佐賀関漁協も右八号地埋立によって海が汚染され漁業被害が拡大することを恐れ、同年九月七日に総代会を開いて反対の決議をなし同年一一月二二日の埋立反対町民大会に主催団体の一つとして参加していること。
その後前記期成会において昭和四六年から同四七年にかけ、県に対し先ず一期計画の実施による公害の発生状況と波及効果等を明らかにし、同分析結果を検討した上でそれでも尚開発の必要ありと合理的に判断せられた場合に限り二期計画を推進すべきであるとの主張を強く押し進めて来たこと。
これに対し県側は地元住民を個別訪問して同計画への賛同を求めるなど右期成会をボイコットするが如き行動に出たりしたため、一層期成会と県との間は相互不信が強まり昭和四七年一二月一五日には地元住民が大分市議会に座わり込み機動隊が出動してこれを排除する事態が発生するまでとなったこと。
この間県も住民の反対運動に動かされて三佐地区の全員五、〇〇〇余人につき健康調査に着手し、同調査結果は昭和四八年五月九日医師会から正式に発表されたが、同結果を四〇歳以上の者を被調査者とした場合に修正して同地区の漫性気管支炎有症率を算出すると大阪、神戸、徳山を超え、四日市に次いで約九パーセントに及んでいることが判明したこと。
右の如き相互対立の状態の中で原告らは昭和四七年二月二五日頃環境庁に直接大分県の窮状を訴えるため上京し、当時の同庁長官三木大臣に面会して現地の状況を説明したところ同大臣は現地視察を約束したこと。
そして翌四八年三月二七日、右約束の履行として同庁富崎企画防止課長外三名が佐賀関に調査団として来県し漁船一五〇隻の出迎を受けて直接現地を視察し又住民の訴を聞いたこと。
又これを皮切りに、同月から同年五月にかけて社会党、公明党、共産党の各国会議員らが公害調査に来県するに至ったこと。
又同年四月二五日の衆議院公害対策並に環境保全特別委員会において前記三木国務大臣が「一期計画にも色々問題があるわけであるから、二期計画の場合にはよほど全体の環境保全或は第一期計画全体の見直しと言ったものをやらねばならないので今後この問題につき県当局も非常に慎重な検討を加える必要がある」旨、又船後政府委員も「環境が保全し得る範囲でこれを練り直して行くことが肝要である」旨の各陳述をなしていること。
右のように大分県の公害問題が国政レベルで問題となって来ている最中の昭和四八年五月一〇日夜住友化学大分製造所の排水処理施設の一つであるタール物質の貯留タンクの管理ミスから有毒ガスが流出し付近住民が強い吐き気、目、のどの痛みを訴え避難しその際一四名が呼吸器や皮膚の炎症をおこし大分県は同会社に操業停止の命令を下す事故が発生し、しかも同月二〇日には佐賀関漁協総代会で埋立賛成派と反対派の両傍聴人がなぐりあいのけんかを始めて二人が怪我をし一人が救急車で病院に収容されるという事件まで発生するに至ったこと。
このため地元住民は再び第二次の環境庁への直訴団を同庁に派遣し同庁の力で前記問題を解決してもらおうと決意し七七名が同月二四日上京するに至ったこと。
そして前認定のとおり大分県知事は翌二五日午前一〇時記者会見をして「佐賀関漁協の流血騒ぎと地元の混乱とを考え、同漁協内部が正常化し、環境基準が公害規制面で充足される時まで二期計画から八号地計画を分離して中断する。
但し、七号地計画は立地企業が非公害型で漁業補償も片付いているので同計画は推進したい」旨発表し、一応右紛争については終止符が打たれたかに見えたこと。
3 以上の事実を総合すると原告ら地域住民が過去の新産業都市建設によって進出した企業による環境破壊があったとして本件八号地計画によっても環境悪化現象が発生し、生命、身体への影響が生ずるのではないかとの点につき強く不安を抱くのも或る程度理解出来なくはないし、これの救済への配慮も考えられなくはない。
しかし同時に前掲各証拠を総合してみても前記「概要」中に同計画につき前認定程度以上に詳細な計画内容があるとは認められず、これからすれば、前記八号地計画には形式的にも実質的にも住民個々人を名宛人としてその具体的財産権等を制限する旨の記載はなされていないと解さざるを得ず、したがって、この点からみても、前記判例のいう「青写真」の域を出ていないのみならず、前掲各証拠の他、《証拠省略》を綜合すると原告主張の一期計画中前記七号地についても同Bの埋立地については、昭和四八年までの高度経済成長の終えんに伴い今のところ進出希望の企業は全くないと言った状態で又同計画中進出企業とされている三井造船もその進出が遅れる見込であり立地企業の業種さえきまらぬと言った状態であること、又六号地の埋立についても進出予定企業である九州石油から大分県に対し昭和四八年秋の石油ショック以来石油製品特に工業用重油の消費の伸びが低迷していて六号地の新規設備投資にふり向ける経済余力がないので同五四年以降は六号地埋立を中断し造成工事の完成時期を先に延ばして欲しい旨の要望も出されている程で又昭電も新規拡張の意向がうかがわれない有様であること、殊に二期計画中の本件八号地についてはこれを埋立てる上で公有水面埋立法四条三項、五条に基く佐賀関漁協の埋立の同意を要するところ同漁協の漁業権放棄の問題は未だ未解決の状態で前記六号地、七号地Bの利用状態の不十分さ等をも考え合わせると、八号地埋立の同法二条の免許申請はそれ程早急に出されるとも考えられず、まして同地区につき前記企業進出意欲の鈍さ等からみて、いかなる企業が何時頃進出するか等の点については全く現段階で予想も出来ない状態にあることが認められるところであり、これら認定の計画の具体性と実現の時期、程度等諸事実を綜合勘案する限り、仮りに改定基本計画につき前記内閣総理大臣の承認がありその結果新産法上の優遇措置並に原告主張の「新産工特法」に基く財政上の諸援助の措置等が法的効果として生ずるとしても(尤も同法二、三条、同施行令二条ないし四条によると同法二、三条各所定の地方債の利子補給並に国の経費負担割合の特例措置等は工場用地の造成事業には適用がないものと考えられるが)原告ら主張の法律によって保護せられるに値する利益である住民の生命、健康等の生活利益への侵害が本件八号地計画の前記再策定行為なるものを現時点において取消すのでなければ直ちに且つ深刻な程度で発生し、しかも後日これを回復することは不可能に近いと言った状態にあるとは到底考えられないところである。この意味において、本件計画の段階では前記原告らの将来における生命身体への危険性の不安の除去は、抗告訴訟としてこれをなし得ないことになるが、個々具体的な行為の段階では、それによって具体的な権利侵害の危険性があれば、その取消を求めることもできるのであるから、右のように解しても、原告らの救済に欠けるものではない。
そうすると、本件訴はその取消対象たる行為につき未だ抗告訴訟の対象たり得るだけの行政処分性と争訟成熟性とを具備するに至っていないものと言うべく、従ってその出訴期間の点につき判断するまでもなく不適法であるから却下を免れない。
第三 結論
よって、原告らの本件訴は不適法であるから却下することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九三条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 田畑豊 裁判官 弓木龍美 裁判官高橋正は差支えにつき署名押印できない。裁判長裁判官 田畑豊)
<以下省略>